2009/10/23

サモスでの講義 (2) / Lecture in Samos (2) / Clase en Samos (2)


【写真:サモス修道院のステンドグラス(2008年9月7日)】

最初の講義は、ガリシアの文化、特に言語に関しての歴史がテーマであった。


ガリシアはその地理的特性上、同じイベリア半島に属するカタルーニャやアンダルシアなどの地中海文化圏とは異なる大西洋文化圏に属する(ガリシアにおいて地中海文化圏との接触がないわけではなかった)。大西洋文化圏には、フランスのブルターニュや、遠くアイルランドや北欧といった地域も含まれる。

石器時代、ガリシアには種々の言語が存在していたと知られているが、現在では単語が判明している程度であり、文法構造などの詳細は分かっていないようである。言語系統について判明しているものもあり、バスク語のように、非インド=ヨーロッパ系の言語と思しき言語もガリシアに存在していたようである。

当時、社会の上層の貴族や戦士といった層はケルト人が占めており、下層の労働者は昔からガリシアに住んでいた人々であった。

宗教としては自然神信仰が普通であったが、ローマ帝国の拡大に伴ってキリスト教化された。しかしながら、古代の異教的なガリシア文化が部分的に存続した。その特徴は、生と死という観点が非常に重視されたことにある。不妊治療に関する伝説は形態はほとんど変わらずに残存した。また、死者の魂が夜中に行列をなして山中を歩いたり小動物に姿を変えて巡礼を行ったりするといった風に、キリスト教的に読みかえられた部分もあるが、異教的要素が何らかの形で影響を与えていた。


ゲルマン民族の大移動の時期に、ガリシアにはスウェヴィ族が侵入した。その後、西ゴート族がイベリア半島に侵入したとき、その支配下でスウェヴィ族は自治を維持したとされる。イスラーム勢力の侵入時にも、ガリシアはほとんどその支配を受けなかった。そのことは、カスティーリャ語とは異なり、ガリシア語にアラブ起源の言葉がほとんどないことからもはっきりしている。

スウェヴィ族以後、国王が不在となったため領主たちがガリシアを支配したが、8世紀になるとレオン王国がオビエドを中心とした集権化を行い、ガリシアはレオン王国に併合されることとなった。イスラム教徒がイベリア半島を席巻し、997年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂から後ウマイヤ朝の宰相アル・マンソールが鐘を奪取するというようなことがあったものの、1230年にフェルナンド3世がレオン王国とカスティーリャ王国を併合してからも、ガリシアは自治を維持しその習慣・制度・言語を保持したとされる。


しかし、15世紀末のカトリック両王の時代に自治が廃止され、大きな変化が起こった。ガリシア語は話し言葉としては認められたものの書き言葉としての使用を禁じられ、書き言葉としてはカスティーリャ語の使用が義務付けられたのである。これが20世紀になるまで続いたために、ガリシア語の文字・表記方法は失われ、現在のガリシア語はカスティーリャ語のアルファベットを拝借して記述されている。



===(resume)==================
This first class in el Camino was about the culture of Galicia, especially the language of Galicia. In ancient Galicia, belonging to the Atlantic cultural area, there thought to have existed Celtic languages and other non-indoeuropean languages. As for the religion, ancient people were nature worshipers. When the Roman empire ruled the Peninsula, Christianity took over the nature worship but it somehow remained. Though Arabic had much influence on Castilian language, it didn't on Galician language. Even when the kingdom of Leon and Castile dominated Galicia during the Middle Age, Galician culture was retained by the people. The Catholic kings, however, prohibited Galician people from writing in Galician. Speaking in Galician was permitted, so Galician continued to exist and came to be used again in twentieth century, using Castilian alphabet because Galician one was lost forever. (Photo: A stained glass in the monastery of Samos, 7 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
En este primer clase, el profesor hablaba sobre la cultura gallega, especialmente sobre lengua gallega. Galicia estaba en área de cultura atlantica. Así que en Galicia antigua habían lenguas celtas y otros lenguas indoeuropeas. En cuanto a religión antiguo, culto natural estaba creido. Cuando cristianismo entraba bajo el imperio romano, aún había culto natural en una forma un poco cambiada. Lengua árabe influciaba al castellano, pero no al gallego. Durante la Edad Media cuando el reino de León y Castilla dominaba Galicia, la cultura gallega estaba conservada. Pero los reyes católicos prohibieron a los gallegos escribir en gallego. Entonces, el alfabeto gallego era perdido y aunque estaba permitido escribir en el siglo XX, los gallegos escriben en el alfabeto castellano hasta ahora. (Foto: Vidrio de color del monasterio de Samos, 7 sep 2008.)
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