2009/10/30

サモスでの講義 (3) / Lecture in Samos (3) / Clase en Samos (3)


【写真:サモス修道院の壁画「七つの大罪」(2008年9月7日)】

前回のエントリィでは中世末期までのガリシア文化について簡単に述べた。最後の箇所で近世から現代にいたる部分を省略して、書き言葉としてのガリシア語の復活に言及したが、今回はその間ならびに20世紀について書こう。


大航海時代以後、アメリカ大陸からトウモロコシやジャガイモなどの作物がヨーロッパに伝来した。ガリシアでその中継地点の役割を担ったのは港町ア・コルーニャA Coruñaであった。18世紀にはカルロス3世の設置した軍港としてフェロルFerrolも発展する。しかしながら、産業革命と呼ばれるような現象はガリシアでは起こらなかった。したがって景観を顧みるに農村風景が広がっているというのはそうした事情もある。


言語に焦点を戻すと、中世末期以来カスティーリャ語あるいはラテン語が初等教育において教えられてきた。20世紀初頭になってようやくガリシア語による初等教育が行われるようになったのである。さらに、ガリシア語を用いて一地域としての意識を高める地域主義のガジェギスモGalleguismo、すなわち一種のガリシア・ナショナリズムの動きが見られるようになった。これには政治制度の変化、つまり自治政府の誕生も大きく関連していた。日常言語としてのガリシア語の使用だけでなく、新聞の発行や教育を通じてのガリシア語の復興が、カステラオCastelaoという政治家によって推進されたのである。

ところが、スペイン内戦が始まるとガリシア語・ガリシア文化復興運動は一時中断してしまう。ガリシアは総じてフランコ派が支配していたため、空爆を受けることはなかったものの、ガジェギスモ派が銃殺されたり、海外逃亡したりしたためである。


1960・70年代のフランコ政権末期になると文化的抑制が緩和されていき、エディトリアル・ガラーシャEditorial Galaxiaという出版社が設立されるまでに至った。言語面だけでなく、音楽の面でもガリシア音楽の復興の動きが見られ、流行していたポップ・ミュージックを取り入れた現代風のガリシア音楽が誕生したのである。

1975年にスペインに議会制が成立し、ガリシア自治政府は17ある自治州のひとつとなった。先に指摘した出版の分野だけでなく政府事業や放送など複数の分野で、ガリシア語の一般化が進んでいった。教育においても、小学校の授業のうち50パーセントがガリシア語で行われることが決定された。

こうして現在に至る、というところで講義は終了した。



===(resume)==================
From the 16th century to the beginning of 20th century, Castilian and Latin were taught at schools in Galicia. At the beginnig of the 20th century, Galician was gradually started to be taught at elementary school. At the same time, galleguismo, a kind of regionalism or regional nacionalism, boosted Galician consciousness and political situations also started to change. Galician was officially used as daily language and used in newspaper. This movement was promoted by a politician, Castelao. Spanish Civil War, however, stopped this movement for some time. When it came to 60s or 70s, cultural suppression calmed down and not only Galician language but also its music came on the scene. After Franco died in 1975, Galicia became one of 17 autonomous communities. Then, Galician language came into use at official work, broadcasting and elementary school.

And that's almost all for the class.
(Photo: "Seven deadly sins" painted on the wall of the monastery of Samos, 7 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Desde el siglo XVI hasta comienzo del XX, el castellano y el latín se enseñaban en colegio. Pero desde principio del siglo XX, el gallego se comenzaba enseñar en colegio gradualmente. A la vez, galleguismo, un tipo de regionalismo o regional nacionalismo, se comenzaba y el político Castelao cambiaba la situación. El gallego se usaba en periódico y como lengua diaria. Cuando la Guerra Civil Española se comenzaba, galleguismo se detetuvo pero en los 60 o 70, la represión cultural se tranquilizaba. Así que la cultura gallega influenciaba no sólo a la lengua sino a la música. Franco murió en 1975 y Galicia se hizo en uno de 17 comunidades autónomas de España. Gallego se comenzaba usar como lengua oficial y en televisión o radiodifusión.

Y esto es casi todo lo que el profesor decía en la clase.
(Foto: "Pecados capitales" pintado en el muro del monasterio de Samos, 7 sep 2008.)
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