2009/12/25

残り100km / Only 100km left / 100km hasta Santiago

サリアを出るまでに、前を歩く3人のメンバーに追いついた。
話を聞くと、さらに先に2、3人歩いているだろう、ということだった。
ここ数日(というか、カカベロスに到着した日以外全部?)、ずっと先頭で歩いていたので、この日も何としても先頭集団に追いつこう、と思った。

サリアのまちを抜けると、すぐに森が広がっていた。
森の入口には写真のように、線路が走っていた。


【写真1:どことなく、『スタンド・バイ・ミー』的な(2008年9月8日)】

森を抜けると、炎天下の平原が続いた。
所々に木が生えていて、林のような感じだったけれど、日光を遮る程ではなかった。
ぽつりぽつりと、家が立っていて、人が住んでいるようだった。

サリアから30分ほどのところで、道から離れたところにある休憩所で休んでいた2人のメンバーを見つけた。
手を振って合図を送り、先を急いだ。
たしか、この後あたりから、先を歩いているもう1人のメンバーに追いつくべく、一人で歩いていったと思う。

30分、いや、1時間ほど歩いただろうか。
何人もの巡礼者を「Buen Camino」の挨拶とともに追い越した後で、ようやく目的の後ろ姿を見つけることができた。
彼女に追いついて、一緒にしばらく歩いていると、「道の左手」に件のマイルストーンが見え、そこには「100km」の数字が刻まれていた。
二人で喜びを分かち合い、誰もいなかったので手を伸ばして無理やりツーショットを撮った。

ところが、である。
そこから5分も歩かないうちに、「道の右手」にマイルストーンが現れ、その周囲には3、4人の巡礼者が体を休めていた。
マイルストーンには、「K.100」と刻まれている。
これが、本物だった。
本来は「道の右手」にしか置かないものだということは、後から中島先生が教えてくれた。


【写真2:100km地点のマイルストーン(2008年9月8日)】

本物のマイルストーンを写真に収め、近くにいた巡礼者に写真を撮ってもらい、先へと進んだ。
10分ほど歩くと、小さな村があった。
幸いにもバルがあったので、2人で100kmを切った記念に乾杯することにした。
(といっても、昼間からアルコールを飲んだのは僕だけだったが。)

休憩もほどほどに、先へ進むと、小さな家の横を通り過ぎる際に、住人と思しきおばあさんが出迎えて(?)くれた。
日本人が珍しいのか、いろいろと話をしてくれた。
ポルトマリーンに泊まる予定だ、ということを伝えると、早口で、ガリシアなまりっぽい感じのスペイン語で、ポルトマリーンで今夜祭りがあるらしいことを教えてくれた。皆が夜中に踊るのだという。

おばあさんに礼を言い、祭りを楽しみにしつつポルトマリーンへと向かった。



===(resume)==================
In the city of Sarria, I could catch up with the three members, who told me that a few members were walking ahead of us. Leaving Sarria, soon there was a big forest and a railway like the photo. After 30 minutes walk, the four of us found two members who were resting. There I decided to walk faster to catch up with the first one and said goodby to others. About an hour walk took me to her. She and I got to a milestone, which showed "100km" but turned out to be a false one. We walked five more minutes and got to the true one, which showed "K.100", and had a pilgrim take a photo of us. In the next small village, we rested for a while and there I drunk beer and she drunk oranje juice in memory of 100km. Heading for Portomarín, passing by a small house, an old woman came out and we talked a little. She told us, in a fast, a little Galician-sounded Spanish, that there would be a festival in Portomarín that night. We're looking forward to it. (Photo 1: Like the film "Stand by Me", 8 Sep 2008; Photo 2: Milestone of 100.0km, 8 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
En la ciudad de Sarria, pudé alcanzar a los tres miembros del curso Camino, quien me dijeron que otros dos o tres miembros estaban andando adelante. Cerca de Sarria, hay un bosque y una vía férrea como la foto. Después de andar 30 minbutos, encontrabamos a otros dos miembros, quien estaban descansandose. Entonces, me decidí a andar más rápido para alcanzar a la primera. Después de una hora, más o menos, alcancé a ella y llegamos a un hito que dice "100km" pero que resultaba ser falso. Andabamos cinco más minutos y llegamos al hito de verdad que dice "K.100". Un peregrino nos sacó una foto. En la siguiete villa, nos descansabamos y yo bebía una cerveza y ella, zumo de naranja, en memoria de 100,0km. Durante andabamos a Portomarín, una mujer vieja hablaba con nosotros. Ella dijo que en Portomarín habría una fiesta en aquel noche. (Foto 1: Como el película de "Cuenta conmigo (Stand by Me)", 8 sep 2008; Foto 2: Hito de 100 km, 8 sep 2008.)
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2009/12/18

中島先生の話 / Ms. Nakajima's story / Relato de Sra. Nakajima


【写真1:サリアのマイルストーン(2008年9月8日)】

サリアに到着するまでの1時間弱の間、中島先生と二人で歩いた。
そのときに、先生が今回の企画(カミーノ講習)に至った経緯とか、そういう話を聞いた。

先生は、もうすでに何度かカミーノを歩いているらしかった。
その中で、最初に、先生がお父さんと歩いた時の話が印象的だった。
歩いているうちに知り合った人と、サンティアゴに到着する前に雨の中で再会して、一緒に夕食をとって温まったとかなんとか、たしかそんな話だったと思う。

サリアは、久々に大きな町だった。
多分、ポンフェラーダと同じか、少し大きいくらいだと思う。


【写真2:サリアのバルにて朝食(2008年9月8日)】

サリアの町中を歩くこと30分ほどで、適当なバルを見つけ、先生と二人で遅めの朝食をとることにした。
ちょうどトルティーリャが一切れ残っていたので、それでボカディージョを作ってもらった。
コーヒー付きで2ユーロ、安い。
(とはいえ、当時のレートは1ユーロ160円程度。ちょうど、リーマンショックの直前の時期。)
(この直後にユーロもドルも下落して、専門書を買うにはいい時代になったけどねぇ……。)

このバルの2階でネットが使えるとのことだったので、ベガ・デ・バルカルセ以来、数日ぶりにメールをチェック。ちょっとした用事で返事を待っていたのだが、この日はまだ返信がなかった。

そうこうしているうちに、何人か追いついてきたらしい。
1階で休んでいた中島先生に話を聞くと、4~5人がすでにこのバルを通過したとのこと。
先生はこれからネットを使う、とのことだったので、一人で歩いていくことにした。



===(resume)==================
Till we got to Sarria, Ms. Nakajima told me about her first pilgrimage to Santiago. She told me that she had done it with her father and that, at a town near Santiago, she could meet a friend that she had come to know on Camino. As we arrived Sarria, which seemed a little bigger than Ponferrada, we found a bar to have breakfast. I had a sandwich of tortilla and a cup of cafe for 2 euros. On the 2nd floor of the bar, I could use the Internet through which I cheked email, but I couldn't get a reply that I was waiting for. When I came to Ms. Nakajima, who stayed on the 1st floor, she told me that some of the members had gone further and also that she was going to use the Internet too. So I left her there and started alone. (Photo 1: A milestone in Sarria, 8 Sep 2008; Photo 2: Breakfast in a bar in Sarria, 8 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Hasta que llegamos a Sarria, Sra. Nakajima contaba me su primera peregrinación a Santiago en la que ella había andado con su padre y que, en una villa cerca de Santiago, había podido encontrarse con un/a amigo/a que sólo había conocido unos días antes en el Camino. Cuando llegamos a Sarria, que me parece un poco rande que Ponferrada, nos encontrabamos un bar, donde desayunabamos. Yo comía un bocadillo de tortilla. En el primer piso del bar, usaba Internet y leía email pero no pudé conseguir un email necesario. Voviendo al piso bajo, me dijo Sra. Nakajima que algunos miembros ya nos habían pasado. Porque también dijo que usaría Internet, le dejé allí y comencé a caminar a Portomarín. (Foto 1: Hito de Sarria, 8 sep 2008; Foto 2: Desayuno en un bar de Sarria, 8 sep 2008.)
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2009/12/11

高原 / Highland / Montaña


【写真1:サモスとサリアの間のどこか(2008年9月8日)】

7日目のこの日は、目的地であるポルトマリーンPortomarínまでおよそ30km超の旅程であった。

修道院で7時頃目を覚ますと、どこからかグレゴリオ聖歌らしきものが聞こえてきた。
昨日の夕食の残りのボカディージョを平らげて、出発の仕度を整えた。
まだ薄暗いうちに、サモスを出発し、再び西を目指す。

日が射して来ても、標高の所為なのかどことなく涼しい。
そんな高原のようなところを、再度先頭集団で、3人で色々と話しながら歩いた。
ちょうど1週間になるこれまでの巡礼の旅のこと、日本でのこと、などなど……。

くねくねとした道が続き、若干のアップダウンを超えて、2時間ほど歩いた頃に小さな村にたどり着いた。
途中でいくつか村はあったのだが、早朝だからなのか、あまり人がいないせいなのか、ここまではバルを発見できずにいたのだ。
ようやく見つけたバルで、後少しでサリアSarriaという大きな都市に着くと教えられ、とりあえずコーラを頼んで休憩していると、中島先生を含む2番目の集団が到着した。

先生を除くメンバーは少し休憩してから出発する、とのことだったので、
先頭集団に先生が加わった4人で歩き出した。
そのうち、ペースの問題か、先生と2人でサリアまで先頭を行くことになった。


【写真2:遠くに見えるサリアのまち(2008年9月8日)】



===(resume)==================
On this seventh day on Camino, we had to walk more than 30 kilometers. Leaving Samos, I walked with two members of the course in the first group, and after two hours walk, we got to the first village that has a bar to rest in. When we're drinking cola there, the second group including Ms. Nakajima arrived. Other members decided to rest here but Ms. Nakajima decided to continue. So the first group and Ms. Nakajima left the village. Then somehow, maybe the other two walked slowly, I walked alone with Ms. Nakajima until Sarria. (Photo 1: Somewhere between Samos and Sarria, 8 Sep 2008; Photo 2: The city of Sarria, 8 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Séptimo día en el Camino de Santiago. Este día teníamos que andar más que 30 kilometros. Desde Samos, andaba en el primer grupo con dos miembros. Después de dos horas, llegamos a una villa donde hay un bar. Cuando tomamos cola en el bar, el segundo grupo incluso Sra. Nakajia, llegué al bar. Otros miembros del grupo decidieron descansarse, pero Sra. Nakajima continuaba andar con nosotros, el primer grupo. Y entonces de algun modo, probablemente porque los otros dos andaban despacio, yo andaba con Sra. Nakajima de solo a solo hasta Sarria. (Foto 1: En algun lugar entre Samos y Sarria, 8 sep 2008; Foto 2: La ciudad de Sarria, 8 sep 2008.)
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2009/12/04

アルバム (7) / Album (7) / Álbum (7)

またまた続けてアルバムです。

サモス修道院で撮った写真はまだまだあるのですが、同じような写真が多いのでアルバムはこの辺で終わりにします。


【写真1:サモス修道院内部(2008年9月7日)】


【写真2:サモス修道院壁画、その1(2008年9月7日)】


【写真3:サモス修道院壁画、その2(2008年9月7日)】


【写真4:サモス修道院聖遺物(2008年9月7日)】


【写真5:いざ、サモスからポルトマリンへ(2008年9月8日)】



===(resume)==================
Photo 1: The monastery of Samos, 7 Sep 2008.
Photo 2: Wall painting in the monastery no.1, 7 Sep 2008.
Photo 3: Wall painting in the monastery no.2, 7 Sep 2008.
Photo 4: The relic of the monastery, 7 Sep 2008.
Photo 5: Leaving Samos for Portomarin, 8 Sep 2008.
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===(resumen)=================
Foto 1: El monasterio de Samos, 7 sep 2008.
Foto 2: Pintura mural del monasterio núm.1, 7 sep 2008.
Foto 3: Pintura mural del monasterio núm.2, 7 sep 2008.
Foto 4: La reliquia del monasterio, 7 sep 2008.
Foto 5: Dejand el monasterio vamos a Portomarin, 8 sep 2008.
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2009/11/27

アルバム (6) / Album (6) / Álbum (6)

今週も続けてアルバムをお届けします。

トリアカステラからサモスまでの写真です。


【写真1:トリアカステラ・サモス間のどこかで、その1(2008年9月7日)】


【写真2:トリアカステラ・サモス間のどこかで、その2(2008年9月7日)】


【写真3:サモス修道院外観、その1(2008年9月7日)】


【写真4:サモス修道院外観、その2(2008年9月7日)】


【写真5:左腕の日焼け跡(2008年9月7日)】



===(resume)==================
Photo 1: Somewhere between Triacastela and Samos no.1, 7 Sep 2008.
Photo 2: Somewhere between Triacastela and Samos no.2, 7 Sep 2008.
Photo 3: The monastery of Samos no.1, 7 Sep 2008.
Photo 4: The monastery of Samos no.2, 7 Sep 2008.
Photo 5: My suntanned left arm, 7 Sep 2008.
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===(resumen)=================
Foto 1: Entre Triacastela y Samos núm.1, 7 sep 2008.
Foto 2: Entre Triacastela y Samos núm.2, 7 sep 2008.
Foto 3: El monasterio de Samos núm.1, 7 sep 2008.
Foto 4: El monasterio de Samos núm.2, 7 sep 2008.
Foto 5: Mi brazo izquierdo bronceado, 7 sep 2008.
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2009/11/20

アルバム (5) / Album (5) / Álbum (5)

今週は久々にアルバムをお届けします。

セブレイロ峠~トリアカステラ間で撮った写真です。
3枚目のマイルストーンは、この辺りから意識して撮るようにしていて、サンティアゴに到着するまでの写真がかなりあります。
いつか、それだけで一つのエントリィを書いてみようかなぁ、なんて……。


【写真1:セブレイロ峠を上る途中にて(2008年9月6日)】


【写真2:セブレイロのカフェにいた犬(2008年9月6日)】


【写真3:残り132kmを示すマイルストーン(2008年9月6日)】


【写真4:トリアカステラのアルベルゲ前の景色(2008年9月6日)】


【写真5:トリアカステラでの朝食(2008年9月7日)】



===(resume)==================
Photos that I took between O Cebreiro and Triacastela.

Photo 1: On the way to O Cebreiro, 6 Sep 2008.
Photo 2: Dog in a cafe of O Cebreiro, 6 Sep 2008.
Photo 3: Milestone says 132 kilometers left to Santiago, 6 Sep 2008.
Photo 4: At Triacastela, near the albergue, 6 Sep 2008.
Photo 5: Breakfast in Triacastela, 7 Sep 2008.
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===(resumen)=================
Las fotos que saqué desde O Cebreiro hasta Triacastela.

Foto 1: En camino de O Cebreiro, 6 sep 2008.
Foto 2: Perro en un café de O Cebreiro, 6 sep 2008.
Foto 3: Hito de 132 kilometros a Santiago, 6 sep 2008.
Foto 4: Triacastela, cerca del albergue, 6 sep 2008.
Foto 5: Desayuno en Triacastela, 7 sep 2008.
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2009/11/13

サモスの夜 / Night in Samos / Noche en Samos


【写真1:サモス修道院客室(2008年9月7日)】

講義終了後は、修道院の客室へ入り、そこに荷物を置いて近くのバルへと夕食を食べに行った。

約2時間の講義の後だから、結構遅い時間になっていた。何とか16人全員分のボカディージョを作ってもらったものの、自分は半分くらい食べたところで、疲れたせいか食欲がなくなってしまった。


【写真2:夕食のボカディージョ(2008年9月7日)】

仕方なく朝食用にボカディージョを残しておいて、夜の街を歩きながらコーラを飲みつつ修道院へと戻った時には夜の10時を回っていた。

修道院の客室は、大部屋に仕切りがしてあって、一応個室のようになっている。寝る準備をしながら、仲間たちと今日の講義のことや明日の旅程についてひとしきり話してから、自分のスペースに引っ込んで、眠りについた。

これで、ようやく6日目が終わる。



===(resume)==================
After the class, we went to a bar to have dinner. We all had sandwiches. Having talked about the things that the last group experienced at Alto do Poio and about the class, we went to bed. This is all for the sixth day on el Camino. (Photo 1: The room for guests in the monastery of Samos, 7 Sep 2008; Photo 2: Sandwich for dinner, 7 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Después de la clase, ibamos a un bar para cenar y comíamos bocadillos. En el cuarto de huéspedes del monasterio, hablabamos sobre lo que el último grupo había experimentado y sobre la clase, y después, nos dormimos. El fin del día sexto. (Foto 1: El cuarto de huéspedes del monasterio de Samos, 7 sep 2008; Foto 2: Bocadillo para cenar, 7 sep 2008.)
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2009/11/06

サモスでの講義 (4) / Lecture in Samos (4) / Clase en Samos (4)


【写真:聖マウルス修道院長の部屋の暖炉(2008年9月7日)】

今回の講義では、言語だけでなく政治状況から音楽に至るまで幅広くガリシアの歴史について学ぶことができた。

通常、日本の高校世界史でスペイン史といえば、ローマ帝国時代、レコンキスタの時代、ブルボン家の時代、世界大戦の前後といった大まかな流れしか扱わない。そのため、ガリシアに限らずスペインの一地域がどのような歴史をたどり、どのようなアイデンティティを形成・保持しているかという問題について、ほとんど学ぶ機会がなかった。その欠落を多少なりとも補うことができ、また、ガリシア以外の他のスペインの地域についても学んでみようという気持ちになれたことがこの講義の収穫の一つだと思う。

このサモスでの講義が今回の講習で最初の講義であったが、講義が終わったときに、主にスペイン語に起因する難しさはあったものの、帰国後の勉強に対する意欲が湧いてきた。このままでは将来留学することはままならない、というようなことを感じたためだ。



===(resume)==================
In this class, we could learn about the history of Galicia, including political, linguistic and music history, which we, Japanese students, had very very little chance to learn in school. This class made me want to learn more about regional history of Spain and to train my Spanish more in order to study in Spain some day. (Photo: A fireplace in the room of St. Maurus, 7 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
En esta clase pudimos aprender la historia de Galicia, incluso la historia de la política, de la lengua y de la música. Es la que no tenemos ningun oportunidad para aprender en colegio. Me motivaba esta clase para que estudiara más sobre la historia regional de España y que aprendiera español más atentamente para estudiar en España algún día. (Foto: Una chimenea de la habitación de St. Maurus, 7 sep 2008.)
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2009/10/30

サモスでの講義 (3) / Lecture in Samos (3) / Clase en Samos (3)


【写真:サモス修道院の壁画「七つの大罪」(2008年9月7日)】

前回のエントリィでは中世末期までのガリシア文化について簡単に述べた。最後の箇所で近世から現代にいたる部分を省略して、書き言葉としてのガリシア語の復活に言及したが、今回はその間ならびに20世紀について書こう。


大航海時代以後、アメリカ大陸からトウモロコシやジャガイモなどの作物がヨーロッパに伝来した。ガリシアでその中継地点の役割を担ったのは港町ア・コルーニャA Coruñaであった。18世紀にはカルロス3世の設置した軍港としてフェロルFerrolも発展する。しかしながら、産業革命と呼ばれるような現象はガリシアでは起こらなかった。したがって景観を顧みるに農村風景が広がっているというのはそうした事情もある。


言語に焦点を戻すと、中世末期以来カスティーリャ語あるいはラテン語が初等教育において教えられてきた。20世紀初頭になってようやくガリシア語による初等教育が行われるようになったのである。さらに、ガリシア語を用いて一地域としての意識を高める地域主義のガジェギスモGalleguismo、すなわち一種のガリシア・ナショナリズムの動きが見られるようになった。これには政治制度の変化、つまり自治政府の誕生も大きく関連していた。日常言語としてのガリシア語の使用だけでなく、新聞の発行や教育を通じてのガリシア語の復興が、カステラオCastelaoという政治家によって推進されたのである。

ところが、スペイン内戦が始まるとガリシア語・ガリシア文化復興運動は一時中断してしまう。ガリシアは総じてフランコ派が支配していたため、空爆を受けることはなかったものの、ガジェギスモ派が銃殺されたり、海外逃亡したりしたためである。


1960・70年代のフランコ政権末期になると文化的抑制が緩和されていき、エディトリアル・ガラーシャEditorial Galaxiaという出版社が設立されるまでに至った。言語面だけでなく、音楽の面でもガリシア音楽の復興の動きが見られ、流行していたポップ・ミュージックを取り入れた現代風のガリシア音楽が誕生したのである。

1975年にスペインに議会制が成立し、ガリシア自治政府は17ある自治州のひとつとなった。先に指摘した出版の分野だけでなく政府事業や放送など複数の分野で、ガリシア語の一般化が進んでいった。教育においても、小学校の授業のうち50パーセントがガリシア語で行われることが決定された。

こうして現在に至る、というところで講義は終了した。



===(resume)==================
From the 16th century to the beginning of 20th century, Castilian and Latin were taught at schools in Galicia. At the beginnig of the 20th century, Galician was gradually started to be taught at elementary school. At the same time, galleguismo, a kind of regionalism or regional nacionalism, boosted Galician consciousness and political situations also started to change. Galician was officially used as daily language and used in newspaper. This movement was promoted by a politician, Castelao. Spanish Civil War, however, stopped this movement for some time. When it came to 60s or 70s, cultural suppression calmed down and not only Galician language but also its music came on the scene. After Franco died in 1975, Galicia became one of 17 autonomous communities. Then, Galician language came into use at official work, broadcasting and elementary school.

And that's almost all for the class.
(Photo: "Seven deadly sins" painted on the wall of the monastery of Samos, 7 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Desde el siglo XVI hasta comienzo del XX, el castellano y el latín se enseñaban en colegio. Pero desde principio del siglo XX, el gallego se comenzaba enseñar en colegio gradualmente. A la vez, galleguismo, un tipo de regionalismo o regional nacionalismo, se comenzaba y el político Castelao cambiaba la situación. El gallego se usaba en periódico y como lengua diaria. Cuando la Guerra Civil Española se comenzaba, galleguismo se detetuvo pero en los 60 o 70, la represión cultural se tranquilizaba. Así que la cultura gallega influenciaba no sólo a la lengua sino a la música. Franco murió en 1975 y Galicia se hizo en uno de 17 comunidades autónomas de España. Gallego se comenzaba usar como lengua oficial y en televisión o radiodifusión.

Y esto es casi todo lo que el profesor decía en la clase.
(Foto: "Pecados capitales" pintado en el muro del monasterio de Samos, 7 sep 2008.)
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2009/10/23

サモスでの講義 (2) / Lecture in Samos (2) / Clase en Samos (2)


【写真:サモス修道院のステンドグラス(2008年9月7日)】

最初の講義は、ガリシアの文化、特に言語に関しての歴史がテーマであった。


ガリシアはその地理的特性上、同じイベリア半島に属するカタルーニャやアンダルシアなどの地中海文化圏とは異なる大西洋文化圏に属する(ガリシアにおいて地中海文化圏との接触がないわけではなかった)。大西洋文化圏には、フランスのブルターニュや、遠くアイルランドや北欧といった地域も含まれる。

石器時代、ガリシアには種々の言語が存在していたと知られているが、現在では単語が判明している程度であり、文法構造などの詳細は分かっていないようである。言語系統について判明しているものもあり、バスク語のように、非インド=ヨーロッパ系の言語と思しき言語もガリシアに存在していたようである。

当時、社会の上層の貴族や戦士といった層はケルト人が占めており、下層の労働者は昔からガリシアに住んでいた人々であった。

宗教としては自然神信仰が普通であったが、ローマ帝国の拡大に伴ってキリスト教化された。しかしながら、古代の異教的なガリシア文化が部分的に存続した。その特徴は、生と死という観点が非常に重視されたことにある。不妊治療に関する伝説は形態はほとんど変わらずに残存した。また、死者の魂が夜中に行列をなして山中を歩いたり小動物に姿を変えて巡礼を行ったりするといった風に、キリスト教的に読みかえられた部分もあるが、異教的要素が何らかの形で影響を与えていた。


ゲルマン民族の大移動の時期に、ガリシアにはスウェヴィ族が侵入した。その後、西ゴート族がイベリア半島に侵入したとき、その支配下でスウェヴィ族は自治を維持したとされる。イスラーム勢力の侵入時にも、ガリシアはほとんどその支配を受けなかった。そのことは、カスティーリャ語とは異なり、ガリシア語にアラブ起源の言葉がほとんどないことからもはっきりしている。

スウェヴィ族以後、国王が不在となったため領主たちがガリシアを支配したが、8世紀になるとレオン王国がオビエドを中心とした集権化を行い、ガリシアはレオン王国に併合されることとなった。イスラム教徒がイベリア半島を席巻し、997年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂から後ウマイヤ朝の宰相アル・マンソールが鐘を奪取するというようなことがあったものの、1230年にフェルナンド3世がレオン王国とカスティーリャ王国を併合してからも、ガリシアは自治を維持しその習慣・制度・言語を保持したとされる。


しかし、15世紀末のカトリック両王の時代に自治が廃止され、大きな変化が起こった。ガリシア語は話し言葉としては認められたものの書き言葉としての使用を禁じられ、書き言葉としてはカスティーリャ語の使用が義務付けられたのである。これが20世紀になるまで続いたために、ガリシア語の文字・表記方法は失われ、現在のガリシア語はカスティーリャ語のアルファベットを拝借して記述されている。



===(resume)==================
This first class in el Camino was about the culture of Galicia, especially the language of Galicia. In ancient Galicia, belonging to the Atlantic cultural area, there thought to have existed Celtic languages and other non-indoeuropean languages. As for the religion, ancient people were nature worshipers. When the Roman empire ruled the Peninsula, Christianity took over the nature worship but it somehow remained. Though Arabic had much influence on Castilian language, it didn't on Galician language. Even when the kingdom of Leon and Castile dominated Galicia during the Middle Age, Galician culture was retained by the people. The Catholic kings, however, prohibited Galician people from writing in Galician. Speaking in Galician was permitted, so Galician continued to exist and came to be used again in twentieth century, using Castilian alphabet because Galician one was lost forever. (Photo: A stained glass in the monastery of Samos, 7 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
En este primer clase, el profesor hablaba sobre la cultura gallega, especialmente sobre lengua gallega. Galicia estaba en área de cultura atlantica. Así que en Galicia antigua habían lenguas celtas y otros lenguas indoeuropeas. En cuanto a religión antiguo, culto natural estaba creido. Cuando cristianismo entraba bajo el imperio romano, aún había culto natural en una forma un poco cambiada. Lengua árabe influciaba al castellano, pero no al gallego. Durante la Edad Media cuando el reino de León y Castilla dominaba Galicia, la cultura gallega estaba conservada. Pero los reyes católicos prohibieron a los gallegos escribir en gallego. Entonces, el alfabeto gallego era perdido y aunque estaba permitido escribir en el siglo XX, los gallegos escriben en el alfabeto castellano hasta ahora. (Foto: Vidrio de color del monasterio de Samos, 7 sep 2008.)
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2009/10/16

サモスでの講義 (1) / Lecture in Samos (1) / Clase en Samos (1)


【写真1:サモス修道院の回廊(2008年9月7日)】

サモス修道院の各部屋には、使徒、聖人そして教皇の名前が刻まれている。

一通り修道院の中を見学した後は、その一室の「聖マウルス修道院長S. Maurus Abb.」の部屋に移動して、ガリシア地方の歴史、特にその文化の辿った歴史についての講義を受けた。

講義の内容は次回以降に譲るが、講義全体の感想としては、とにかくスペイン語が問題になった、ということである。学部1年の時のスペイン語の授業で、南米出身の先生のスペイン語オンリーの会話クラスを受講していたが、あれは非常に簡単な文法・挨拶の練習程度のものだった。従って、スペイン語でちゃんとした講義を受けるという体験はこのときが初めてであり、自分のスペイン語力のなさゆえに、授業は中島先生による内容の要約・補足があったにもかかわらず、十分な理解が得られたとは言えなかった。


【写真2:聖マウルス修道院長の部屋(2008年9月7日)】



===(resume)==================
Having looked around the monastery, we entered the room named S. Maurus Abb. and took a class on the history of Galicia, especially the one of Galician culture. It was difficult for me to take a class in Spanish, so I think I couldn't understand the class well, though Ms. Nakajima sometimes gave us resume about what the lecturer had said. (Photo 1: The cloister of the monastery of Samos, 7 Sep 2008; Photo 2: The room named S. Maurus Abb., 7 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Después de la visita del monasterio, entrabamos en un cuarto llamado S. Maurus Abb., y un profesor español nos daba clase en español sobre la historia gallega, particularmente la cultura gallega. Me era difícil entender una clase en español, aunque Sra. Nakajima resumía, algunas vecez, el discurso. (Foto 1: El claustro del monasterio de Samos, 7 sep 2008; Foto 2:La habitación llamada S. Maurus Abb., 7 sep 2008.)
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2009/10/09

修道院見学 / Visit to the Monastery / Visita al monasterio


【写真1:サモス修道院のアルフォンソ2世像(2008年9月7日)】

サモスの修道院を見学する前に、中島先生からスペインの歴史について簡単な説明があった。

先史時代、ローマ帝国による支配、ゲルマン諸部族の侵入、西ゴート王国の成立、イスラーム勢力の進出、レコンキスタの開始……大まかな流れの後、聖ヤコブに話が移った。聖ヤコブの墓が発見されたのは9世紀のことで、880年代には既にパリにまでその話が伝播していたという。「マタモーロ(モーロ人殺し)」の名から分かるとおり、聖ヤコブはレコンキスタのみならず、十字軍の守護聖人としても知られ、広く信仰の対象となった。その拡大に際して、ビジャフランカ・デル・ビエルソにある「赦しの門」や、サンティアゴ大聖堂でのヤコブ像抱擁など、様々な手法が利用された。巡礼にまつわる奇跡譚も多く残されているようで、そのうちのいくつかを聞くことができた。

次いで、修道院の内部見学に移った。

案内役の修道士と思われる老人がサモスの修道院の歴史について簡単に話してくれた。6世紀頃から修道士がいたこと、9世紀半ばに一度廃院となり後に復興したこと、18世紀にはスペイン最大の修道院であったことなどである。


【写真2:サモス修道院図書室(2008年9月7日)】

壁には聖人伝や、7つの大罪が描かれていることなどを修道士の方に教えてもらいながら、聖遺物のある部屋や、教会を見学した。

壁には何箇所かラテン語が刻まれており、図書室の入口上部には「図書室なき修道院は武器庫なき城のようなものであるClaustrum sine librario sicut castrum sine armamentario」と彫られており、案内役のさんからいきなりラテン語を訳すよう言われ、ラテン語って日常的に存在するんだ、というなんとも単純なことに感心・驚嘆しつつ、多少の時間をかけて何とか意味を伝えることができた。    



===(resume)==================
Before looking around the monastery of Samos, Ms. Nakajima told us about the history of Spain, such as the prehistoric age, the Roman period, the Visigothic kingdom, the Islamivc invasion, Reconquista and, of course, St. James, whose tomb was found in ninth century and who was worshiped through the pilgrimage to Santiago de compostela. In the monastery, an old monk told us about the history of the monastery, which was founded in sixth century and rebuilt in ninth, and explained about the arts and rooms of the monastery. What surprised me most was the latin phrase above the door to the library, which says "Claustrum sine librario sicut castrum sine armamentario", meaning "A monastery without a library is like a castle without an armory." It was a bit hard for me to translate it into Japanese without a dictionary .... (Photo 1: The statue of Alfonso II in the monastery of Samos, 7 Sep 2008; Photo 2: The library of the monastery, 7 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Antes de entrar y visitar el monasterio de Samos, nos enseñaba Sra. Nakajima sobre la historia de España, por ejemplo sobre el tiempo prehistórica, el Imperio Romano, el Reino Visigodo, la invasión islámica, la reconquista y Santiago, cuyo sepulcro era descubierto en el siglo IX y que entonces se hacía el patrón de España en el cruzado. En el monasterio, un monje viejo nos mostraba las bellas artes y habitaciones del monasterio. Lo que a mí sorprendí mucho era la frase latina encima de la purta de la biblioteca que dice que "Claustrum sine librario sicut castrum sine armamentario," esto es, un monasterio sin biblioteca es como un castillo sin armería. Me es un poco difícil de trasladar esa frase a la lengua japonesa sin diccionario .... (Foto 1: La estatua del rey don Alfonso II en el monasterio de Samos, 7 sep 2008; Foto 2: La biblioteca del monasterio, 7 sep 2008.)
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2009/10/02

洗濯日和 / Perfect Day for Laundry / Día perfecto para lavadero


【写真1:サモス修道院のアルベルゲ内部(2008年9月7日)】

さて、修道院に到着したが、中島先生によれば、どうやら修道院のアルベルゲに泊まるのではなく、修道院の内部の客室に宿泊する予定らしい。ところが、世話をしてくれるはずの修道院の係りの人が午後1時まで用事があるらしく、30分ほど修道院前で時間をつぶした。

すぐに部屋に行くものと思っていたが、修道院の客用の宿泊部屋にはシャワーがないため、修道院付属のアルベルゲでシャワーを浴びた。ここのシャワーは今回の旅の中ではかなり悪い部類で、水が細々と出るだけであったので、汗を流す程度しかできなかった。

シャワーから出た後に洗濯をしようとしたが、ここのアルベルゲには洗濯機がないため、手洗いをせざるをえなかった。昨日のトリアカステラへの到着が遅かったために洗濯・乾燥を行う時間がなかったため、洗濯物がたまっている。徒歩での移動ゆえに、荷物は最低限しか持ってきていないので、このままでは着る服がなくなる可能性があった。幸い、空は雲ひとつないくらいに快晴だったので、下着類のみ洗濯した。手洗いというのは人生で初めてだったが、なかなかいい経験になったと思う。

洗濯物を干したあとは、修道院の前のレストランで昼食をとった。その後、修道院の周りを散歩したり、カフェでコーヒーを飲んだりして過ごし、修道院の正面(ファサード)から入ったところにあるグッズ売り場を見て回った。

ただ、残念なことにファサードが工事中であり、鉄の足場が邪魔できちんと見られなかった。


【写真2:サモス修道院の正面入口(2008年9月7日)】



===(resume)==================
Ms. Nakajima told us that we're going to stay in a guest room of the monastery of Samos, not in the albergue. Before entering the monastery, we took shower in the albergue, because there aren't any showers in the guest room. After taking a cold shower, we washed our clothes by our own hands. It was, perhaps, the first time for me to do that, which seemed to be a good experience for me. After having lunch together in a restaurant in front of the monastery, I took a walk around the monastery and had a coffee in a cafe. And also I visited a shop inside the facade, which was still under reconstruction and couldn't be seen well. (Photo 1: Inside of the albergue of the monastery of Samos, 7 Sep 2008; Photo 2: The facade of the monastery of Samos, 7 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Nos dijo Sra. Nakajima que no nos ibamos a quedar en el albergue sino en una habitación de huéspedes del monasterio de Samos. Antes de entrar en la habitación, duchamos en el albergue y debimos lavar las ropas con nuestros manos porque no había lavadora y secadora. Después de haber comido en un restaurante en frente del monasterio, yo solo andaba alrededor del monasterio y tomaba un café en un bar. Entonces visitaba la tienda interior de la fachada del monasterio. (Foto 1: Al interior del albergue del monasterio de Samos, 7 sep 2008; Foto 2: La fachada del monasterio, 7 sep 2008.)
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2009/09/25

サモス到着 / Arrived at Samos / Llegado a Samos


【写真1:ガリシアの高床倉庫(2008年9月7日)】

この日、トリアカステラからは男三人でのスタートということもあり、結構速いペースで歩いた。途中で先に出発したグループにも追い付くことができた。

セブレイロ峠ほどではないものの、適度なアップダウンのある道を歩く途中、中島先生からガリシアの高床倉庫について簡単な説明を受けた。どうも、どこの国でも似たようなことを考えるものだな、と思った。


【写真2:サモス修道院遠景(2008年9月7日)】

結局のところ、10km先という表示の目的地サモスSamosまではちょうど3時間ほどかかった。どうもこの手の看板は当てにならないらしい。単に車道と山道を歩くことの差異かもしれないが。

サモスでは修道院にアルベルゲが付属しているらしく、そこに泊まるのだと思っていた。山を下る途中で見えた修道院は、静かな雰囲気を湛えていた。



===(resume)==================
We, the three boys, walked a bit faster than usual and could catch up the girls before arriving at Samos. Ms. Nakajima then told us that there are some raised granaries which are unique in Galicia. It took about 3 hours to get to Samos. (Photo 1: A Galician raised granary, 7 Sep 2008; Photo 2: The monastery of Samos, 7 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Nosotros, tres chicos, andabamos un poco más rápido que de costumbre y alcanzaba a las chicas. Sra. Nacajima entonces nos enseñaba que hay unos hórreos únicos en Galicia. Después de que habíamos andado por tres horas, llegamos a Samos. (Foto 1: Un hórreo en Galicia, 7 sep 2008; Foto 2: El monasterio de Samos, 7 sep 2008.)
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2009/09/18

サモスへ / To Samos / A Samos


【写真1:トリアカステラの教会(2008年9月7日)】

今日はたったの10kmだけということで、少しだけ遅めに8時頃に起きて、昨夜晩御飯を食べたのとは別のバルで、出発前にしっかりと朝食を食べた。

その後9時前に、中島先生を含む女子メンバーは先にトリアカステラを出発した。僕を含めて3人いた男子メンバーは、トリアカステラの教会を見学してから出発することにした。
教会の方へ歩いているとアルト・ド・ポヨに泊まったグループが追い付いてきた。

話を聞くと、最後尾の集団は早起きをして午前6時ごろにアルト・ド・ポヨを出発し、きれいな星空を見ながら下山してきたらしい。高地だから、夜は寒かったらしいが、その分いいものを見たということだろう。


【写真2:トリアカステラからサモスへ(2008年9月7日)】



===(resume)==================
Only 10 kilometers left to Samos, we got up around 8 o'clock this day and, not as usual, had breakfast at a bar before our departure. Girls and Ms. Nakajima left first and three boys (including me) decided to visit the church in Triacastela. When we're approaching to the church, the group from Alto do Poio arrived at Triacastela. They said that they left Alto do Poio around 6 o'clock and walked to Triacastela under bright beautiful stars. (Photo 1: The church of Triacastela, 7 Sep 2008; Photo 2: From Triacastela to Samos, 7 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Porque teníamos que andar solo 10 kilometros este día, entonces nos levantabamos a las ocho, no tan temprano como siempre, y desayunabamos en un café de Triacastela. Poniendose en camino a Samos, las chicas y Sra. Nakajima salían de la villa. Y dos chicos y yo decidimos visitar a la iglesia antes de salir de la villa. Cuando eramos andando a la iglesia, nos encontrabamos al ultimo grupo de nosotros, que se habían quedado en Alto do Poio. Dijeron que podían ver las estrellas brillantes bajando desde Alto do Poio. (Foto 1: La iglesia de Triacastela, 7 sep 2008; Foto 2: Desde Triacastela hasta Samos, 7 sep 2008.)
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2009/09/11

トリアカステラで休息 / Rest in Triacastela / Descanso en Triacastela


【写真1:トリアカステラのアルベルゲ(2008年9月6日)】

この5日目の道のりは、今回の旅の中で初めて歩いた30kmコースであり、難所のセブレイロ峠越えを含む長い長い道のりであった。

アルベルゲを見つけて、シャワーを浴びた後に、アルベルゲの横のお店でエストレジャ・ガリシアEstrella Galiciaという地元のビールを、中島先生から奢ってもらった。いろいろ大変だったが、ビールを飲んでいるとすべてどうでもいいような気がしてきた。

この日は、到着が遅かったため、洗濯をしても乾かす時間がないだろうということで、洗濯を見送ることにした。


【写真2:明日は楽勝!(2008年9月6日)】

後続隊はしばらくして到着したが、やはり最後尾の集団はアルト・ド・ポヨに泊まることになった。最後尾には足を痛めたメンバーもいたらしい。人数が減って少し寂しく感じたが、ともあれ、いつもどおり村のバルで夕食を済ませた。

アルベルゲに戻る途中、今日多めに歩いたおかげで明日の目的地のサモスSamosまでは10km程と聞いて、安心したのだが、いよいよ明日はカミーノ講習の講義始まると聞いて、自分のスペイン語に若干の不安を覚えつつ眠りに着いた。



===(resume)==================
This fifth day on el Camino de Santiago we had to walk over 30 kilometers, including O Cebreiro, the hardest part of our pilgrimage. In a shop next to the albergue, Ms. Nakajima bought us Galician beer named Estrella Galicia, which made us happy and also made us forget about the hard walk of this day. We arrived late this day, so we put off washing clothes. When we were walking back to the albergue after dinner at a bar, we came to know that we would have to walk only 10 kilometers tomorrow and that we would have a class on el Camino in Samos. I was afraid that I could listen to what the teacher would tell us .... (Photo 1: The albergue of Triacastela, 6 Sep 2008; Photo 2: Only 10 kilometers left tomorrow, 6 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Este día andabamos más que 30 kilometros en O Cebreiro, que era la durissima parte de nosotros peregrinación. En una tienda al lado del albergue, nos compraba Sra. Nakajima cerveza gallega, Estrella Galicia, que me hacía olvidarme del durissimo camino. Porque habíamos llegado a Triacastela tarde, no lavamos este día. Después de comer en un bar, andando al albergue conocíamos que mañana teneríamos que andar solo 10 kilometros y tambien habría la clase sobre el Camino. Así que tuve miedo de que no pudiera oir lo que el profesor dijera .... (Foto 1: El albergue de Triacastela, 6 sep 2008; Foto 2: Solo 10 kilometros para mañana, 6 sep 2008.)
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2009/09/04

セブレイロ峠 (6) / O Cebreiro (6)

結局、中島先生と再度相談して、登ったばかりの山を下って、アルト・ド・ポヨから数えて13km程進んだトリアカステラTriacastelaという町を目指すことになった。そのとき僕らは先頭集団にいたのだが、最後尾のグループの6人はとてもトリアカステラまでは進めそうにないということで、予定通りアルト・ド・ポヨに泊まることになった。


【写真1:やっとありつけたボカディージョ(2008年9月6日)】


きつい登りの後だったので、下り道では常に膝が笑っていたが、ともかく進むしかなかった。この日の旅程は、山頂部でのアルベルゲの少なさからも分かるように、ガリシアとレオンの州境の山がちな土地であり、まさに寒村というべき村が点在し、中には廃村化したものも多かった。

峠を下る途中、ようやく見つけた村のバルでボカディージョを食べて、しばらくの間休憩することができた。


【写真2:牛の群れに囲まれて(2008年9月6日)】

そこからさらに1時間くらい歩いて、途中牛の群れに囲まれたりもしながら、ようやくトリアカステラに到着したときには、午後5時を回っていた。



===(resume)==================
Again consulted with Ms. Nakajima on the phone, we decided to stay in the town of Triacastela, which is located about 13 kilometers away from Alto do Poio. The first group, including me, were able to do so but the last group seemed not. So they decided to stay in Alto do Poio. It was only after about an hour that we could eat sandwitches in a village between Alto do Poio and Triacastela. After the lunch, we walked about one more hour through villages, some of which seemed to be deserted. Anyway, through a herd of cattle, we could get to Triacastela at around 5 o'clock. (Photo 1: Sandwitch, 6 Sep 2008; Photo 2: A herd of cattle, 6 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Después de haber consultado a Sra. Nakajima, decidimos quedarnos en la villa de Triacastela que queda a 13 kilimetros desde Alto do Poio. Entonces parecía que el ultimo grupo del nosotros miembros no podería llegar a Triacastela, ellos decidieron quedarse en Alto do Poio. Pero nosotros, el primer grupo, pudieramos llegar a Triacastela a las cinco después de haber comido bocadillos en una villa entre Alto do Poio y Triacastela. (Foto 1: Bocadillo, 6 sep 2008; Foto 2: Vacas, 6 sep 2008.)
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2009/08/28

セブレイロ峠 (5) / O Cebreiro (5)


【写真1:ガリシアに多いという石垣(2008年9月6日)】


【写真2:アルト・ド・ポヨに着いたけど……(2008年9月6日)】

缶ビールを空けたりしながら、先頭グループに交じって気分よく目的地のアルト・ド・ポヨAlto do Poioへとたどり着いた。と同時に、なんだか違和感があった。
おかしい、町らしい町が、ない。

一応アルベルゲがあったので、中に入って話を聞いてみると、なんとアルベルゲには7人分のベッドしかないという。メンバーの一人に、後ろから来ている中島先生に携帯で連絡を取ってもらうと、先に進むしかないという。

悲劇である。
ここまで、20km超を歩いてきたのに……。とはいえ、3km程度で次の村だと分かったので、気を取り直して進むことにした。3kmなら1時間もかからないだろう、と。

しかし、悲劇は続く。
次の村に進むと、アルベルゲの前で巡礼者が5、6人集まっている。話を聞くと、午後3時にならないとアルベルゲが開かないため、それを待っているのだという。20分ほど時間があったので、いろいろと話をしたら、スペイン以外にも、カナダ、オーストリアなど色々なところから来ているのだと分かった。

そうこうしている内に、3時になってアルベルゲの中に入ると、ベッドは6台しかないという。仕方がないので、とりあえず昼食だけでも食べておこうと思い近くのバルでボカディージョを注文しようとするも、ボカディージョはない、と断られる。

もはや悪夢である。


【写真3:まだまだ続く道(2008年9月6日)】



===(resume)==================
When we got to Alto do Poio, we're told that, in the albergue, there weren't beds enough for us to stay here. So we had to go further, 3 kilometers were left to next village. To make bad things worse, we're told the same in this next village .... We hoped to have sandwitches for lunch, for it was already around 3 pm, but we couldn't. Yes, it was like a nightmare. (Photo 1: The Galician stone walls, 6 Sep 2009; Photo 2: Alto do Poio, 6 Sep 2008; Photo 3: Long long way, 6 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Llegando a Alto do Poio, supimos que no hay camas para todos los miembros del curo Camino en esta villa. Así que tuvimos que andar tres kilometros para llegar a la siguiente villa. Pero después de andar, supimos la misma como en Alto do Poio. Queríamos comer bocadillos pero no pudimos porque dijo el camarero de un café que no hay bocadillos. ¡Qué pesadilla! (Foto 1: Los muros gallegos de piedra, 6 sep 2008; Foto 2: En Alto do Poio, 6 sep 2008; Foto 3: Camino muy largo, 6 sep 2008.)
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2009/08/24

セブレイロ峠 (4) / O Cebreiro (4)

見ている人いるかわかんないけど、金曜の更新が遅れてすみません。



【写真1:セブレイロのカフェで休憩(2008年9月6日)】

 本題。さらに進むと、ほどなくして頂上のセブレイロの町があった。

 標高1400m近いこの町は、少し雨がぱらついていたものの、多くの巡礼者で賑わっていた。土産物を扱う店があり、既に金属製のものは購入していたが、サンティアゴ騎士団の赤い十字架が描かれた本物の帆立貝を売っていたので、サンティアゴに着く前に購入してしまった。

 少し前にとった朝食のおかげで空腹を感じなかったため、ここではサンティアゴ・ケーキTarta de Santiagoとコーヒーで休憩するだけにした。食べている途中で、後続のメンバーたちが何人かやってきたが、まちの教会を見たかったので、先に店を出た。

 教会を少しだけ見学した後は、すぐにまちを出て、また歩き始めた。


【写真2:リンゴ風味のビールで乾杯(2008年9月6日)】

 セブレイロからはいかにもといった風情の高地を行くことになった。

 多少のアップダウンはあるものの、おおむね標高1200mを超えるところを歩いた。難所のセブレイロ峠を登りきり、天気がよかったこともあって、途中の見晴らしのいい展望台のようなところで缶ビールを空けたりしながら、気分よくアルト・ド・ポヨAlto do Poioへと向かっていたが、このときはまだこの先で起こる悲劇を知らなかった。



===(resume)==================
At first, I would like to apologize for not having posted a new entry as usual.

As we went on walking, finally we arrived at the town of O Cebreiro, where a lot of pilgrims ware resting. Me and my friend had just eaten breakfast, so here we only had a cup of coffee and a santiago cake. After that, I bought a real scallop and visited a church of the town, we left for the destination, Alto do Poio. On the way there, when we were resting near a statue of Santiago, we're caught up with by other members (not all of them) and enjoyed apple-tasted beer. But we didn't expect what were about to happen in Alto do Poio .... (Photo 1: Rest in a cafe, Cebreiro, 6 Sep 2008; Photo 2: Cheers with apple-tasted beer, 6 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Primeramente lo siento mucho no haber escrito un articulo nuevo usualmente.

Finalmente llegamos a la villa de O Cebreiro. Aquí comemos tarta de Santiago con café. En una tienda de O Cebreiro, compré una vieira verdadera. Después visitabamos la iglesia de la villa. Entonces, cuando estabamos dirigiendose a Alto do Poio, otros miembros del curso Camino nos alcanzaron y disfrutabamos la cerveza de manzana. Pero no pudimos esperarnos lo que pasaría en Alto do Poio .... (Foto 1: En un café de O Cebreiro, 6 sep 2008; Foto 2: ¡Salud con cerveza de manzana!, 6 sep 2008.)
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2009/08/14

セブレイロ峠 (3) / O Cebreiro (3)


【写真1:雲行きの怪しい空(2008年9月6日)】

朝食のサラダを食べた後は、若干怪しい雲行きの空の下、頂上のセブレイロの町を目指して歩いた。


【写真2:ガリシアの標識と筆者(2008年9月6日)】

朝食をとった村から少し歩くと、大きな標識が見えた。御馴染のCamino de Santiagoの文字とともに、ガリシアに入ったことを示すようにGALICIAの文字が刻まれていた。

ガリシアはレオンとは気候・風土も異なり、海産物がおいしいという話をこれまでの話で聞いていたので、先が非常に楽しみになってきた。記念に、ということで、同行していたカミーノ講習のメンバーに写真を撮ってもらった。

峠も頂上に差し掛かり、道はかなり緩やかになってきたが、峠の悪夢はまだ終わらない。



===(resume)==================
After having salad as breakfast, we walked heading for O Cebreiro. When we came near to O Cebreiro, we noticed a big sign which told us that we were in Galicia then. We already heared that seafood taste really good in Galicia. So I was really looking forward to eating them. But we were still on the way to today's destination, Alto do Poio. (Photo 1: The weather's not good, 6 Sep 2008; Photo 2: Now I'm in Galicia, 6 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Después del desayuno, andabamos a O Cebreiro. Pero antes de llegar a O Cebreiro, una señal me enseñó que nos encontramos en Galicia. Habíamos ya sabido que, en Galicia, productos del mar son muy bien. Así que estaba deseando que ellos comería. Pero todavía estabamos antes de O Cebreiro, y tambien antes de la destinación del día, Alto do Poio. (Foto 1: No buen tiempo, 6 sep 2008; Foto 2: Yo estaba en Galicia, 6 sep 2008.)
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2009/08/07

セブレイロ峠 (2) / O Cebreiro (2)


【写真1:セブレイロ峠の中腹からの景色(2008年9月6日)】

セブレイロ峠の坂道が続く。
最初からいきなりきつめの坂が続いたかと思うと、しばらくゆるやかな道が続いた。

しかし、最初の坂を上り初めてから30分ほど歩いたところで、黄色い矢印が舗装された道を外れて、完全な山道を指し示した。道は下っているように見えた。本来の道には自転車のマークとともに黄色い矢印があったから、この舗装された道をいけば、多少遠回りかもしれないが、巡礼路を辿っていけるであろうことは想像がついた。

このときも、雨の日同様に先頭集団(といっても今回は二人しかいなかったが)だったので、もう一人と相談して、徒歩用の道を行くことにした。

見た目通り、徒歩用の道は始めは少し下っていた。小さな谷があって、そこの下まで降りることになったのはいいのだが、問題はその後だった。かなり急な坂道が延々と続いて見えるのである。しかも所々岩が露出していたり、曲がりくねっているせいもあって先が全く見えない。どのくらい坂が続いているか全く分からなかった。

とにもかくにも歩くしかないということで、ひたすらに歩いた。幸いにして、村に出るまでは森の中だったので、暑さを感じることはなかった。とはいうものの、坂道を無言で上り続けた結果、かなり汗をかいたが。


【写真2:朝食のサラダ(2008年9月6日)】

坂道の続く森を抜けると、小さな村があった。ベンチで少し休憩をとったが、カフェのようなものはなかったので、次の村を目指すことにした。

ところどころぬかるんだ道をひたすら上り、峠を上りきる手前の村で休憩と称して朝食をとったときには、すでにベガ・デ・バルカルセを出発してから3時間ほど経っていた。



===(resume)==================
Now we're walking and climbing up long way to O Cebreiro. I was in the first group (just me and one of my friends, though). We chose to walk the way for walkers, not the one for bicycle. The way was really tough. We kept walking for about three hours since we started from Vega de Valcarce until we had breakfast in a small village, which was located just before O Cebreiro.(Photo 1: A scene from the way to O Cebreiro, 6 Sep 2008; Photo 2: Salad for the breakfast, 6 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Estabamos andando a O Cebreiro. Una de amigos del curso y yo estabamos en el primer grupo. Elegimos el camino para andantes, no para bicicletas. Él era muy duro. Seguimos andando más o menos tres horas desde Vega de Valcarce. Así que desayunamos en una villa muy cerca de O Cebreiro. (Foto 1: Panorama desde el camino a O Cebreiro, 6 sep 2008; Foto 2: Ensalada para desayunar, 6 sep 2008.)
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2009/07/31

セブレイロ峠 (1) / O Cebreiro (1)


【写真:朝もやの中を行く(2008年9月6日)】

さて、ようやくカミーノ5日目の始まり。
今日は今回のアストルガ=サンティアゴ間の最大の難所であるセブレイロ峠Cebreiroを越えて、いよいよカスティーリャ・レオンに別れを告げ、ガリシアへと入っていきます。

朝、やはり7時前の早いうちに目が覚める。まだ外は暗いが、雨が降っている気配はなかったが、準備を整えて外へ出ると、路面はしっとりと濡れていた。

少し日が出てきたものの、霧がかかってまだどことなく暗い中、例によって車道に沿って歩いていく。
手には、昨日の夜に酒を飲むときのおつまみ用に買ったポテトチップの袋を持ったままで。
(1本だけ残ったリンゴ風味のビールはバックパックに入れることにした。)

のどかな農村を2つ3つ通り過ぎる中で、何人かの巡礼者を追い越した。
何語で話したかは忘れてしまったが、たぶん英語だったのだろう、そのうちの一人はカナダから来たと言っていた。自分たちが日本から来たというと、娘さんが結婚して日本にいるという話をしてくれた。
意外なところで繋がるものだ、と感じた。

そうこうしているうちに、突然急な坂道が目の前に現れた。
いよいよ峠である。



===(resume)==================
This is the 5th day on Camino when we came into Galicia. Though it wasn't raining when we got up, the road was wet and a white mist lay over the Camino. Going through some towns with potato chips in my hand (which was to be eaten last night), I met a few pilgrims, who told me that they came from Canada and whose daughter had got married to a Japanese. After that, we came to a steep slope .... (Photo: In the white mist in the morning, 6 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Éste es cinco día en el Camino de Santiago, cuando entrabamos en Galicia. Aunque no estaba lloviendo de mañana, el Camino se mojaba y estaba cubierto de niebla. Estaba andando con patatas fritas en mi mano, que era para comer ayer noche. En la villa segunda o tercera de este día nos encontrabamos a unos canadienses, quien dijeron que sus hija se casó con un japones. Después nos encontrabamos al camino en cuesta .... (En niebla de mañana, 6 sep 2008.)
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