2010/01/29
ポルトマリーンでの講義 (1) / Lecture in Portomarín (1) / Clase en Portomarín (1)
【写真:サン・フアン教会(2008年9月8日)】
町が祭りの開始を待ちきれない雰囲気になる中で、アルベルゲのロビーのような場所に椅子をならべて簡単に会場が作られ、ポルトマリーンの歴史に関する講義が行われた。
講義の前半、洗濯機を回す順番待ちのせいで多少聞けなかった部分もあるのだけれど、今回の講義についてまとめてみよう。ちなみに、今回の講義は美術史を専門とする先生が担当してくれ、建築様式に関する部分もあったのだが、全体としては町としてのポルトマリーンの歴史だったように思う。
ポルトマリーンと呼ばれる町は12世紀から既に存在していたらしい。フランスからのサンティアゴ巡礼が盛んになる時期とほぼ一致する。しかし、中世のポルトマリーンは現在のポルトマリーンとは異なる場所に存在していた。新旧どちらのポルトマリーンにも共通しているのは、町の中心のサン・フアン教会である。
中世のポルトマリーンはミーニョ川を挟んで対岸に位置する二つの町から成っていた。サン・フアンとサン・ペドである。二つの町はミーニョ川にかかる橋でつながっていた。当時から存在していたサン・フアン教会は、次第に城砦としての機能を持つようになっていったらしい。
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In the albergue, we heard a lecture about the history of the town of Portomarín, which was delivered by a professor of, perhaps, art history. The town called Portomarín had existed since twelfth century, when pilgrimage from France to Santiago became popular. But medieval Portomarín was not in the place where now Portomarín is. In both Portomarín, now and then, there exists the church of San Juan in the center of the town. In the middle ages, Portomarín was consisted of two towns on the different side of the Miño river, both of which are connected by a bridge. Little by little, the church of San Juan gained the role of a fortress. (Photo :The church of San Juan in Portomarín, 8 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
En el albergue, escuchabamos una clase de la historia de la ciudad de Portomarín, que era dado por una profesora de historia del arte. La ciudad llamada Portomarín había existido desde el siglo doce, cuando la peregrinación se hacía famosa. Pero Portomarín medieval no estaba en el lugar donde está Portomarín ahora. Hay y había la iglesia de San Juan en ambos Portomarín. En la edad media, Portomarín estaba constado de dos partes en diferente lado del río Miño, ambos de las cuales estaba conectado por un puente. La iglesia poco a poco ganaba el papel de la fortaleza. (Foto : La iglesia de San Juan en Portomarín, 8 sep 2008.)
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2010/01/22
再会 (2) / Met Again (2) / Encuentro de nuevo (2)
【写真:ポルトマリーンのアルベルゲ(2008年9月8日)】
新しく到着した2人も加えて4人でアルベルゲに戻ると、入り口のところで、アウグスティンら以前ラバナルで出会った巡礼者たち3人と再会することができた。
あれから1週間近くスペインに滞在しているにもかかわらず、相変わらずの英語・スペイン語交じりで会話をこなした。日本にいる時と比べて格段にスペイン語を使う機会があるのに、これでは……と思いつつも、どうすることもできなかった。
アウグスティンから、最初に一緒に歩いていたハリーが体調を崩してペースが遅れていると聞いて、心配になった(結局のところ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ到着後も彼と会う機会はなかった。サンティアゴを離れる直前に、彼が無事サンティアゴに到着したらしいという話を聞いて安心できたが、最後に話す機会がなかったのは非常に残念である)。
夕食後に、祭りを見ながら飲む用に、と先程のスーパーでエストレジャ・ガリシアを買ったりしているうちに、5時過ぎたくらいになり、中島先生を含む残りのメンバーも皆到着した。全員がシャワーを浴び、少ない洗濯機でなんとか段取りをつけて一段落したところで、先生から講義が始まるとのお達しがあった。
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Four of us arrived at the albergue. There we met again "amigos," Augustin and David ond others, who we met before in Rabanal del Camino. I talked with them in easy Spanish and broken English and heard that Harry was walking slowly because he was in poor health. Though I was worried about him, I couldn't meet him again in the end. When the other members arrived at the albergue and we all had a shower and did the washing, Ms. Nakajima told us that the lecture of the day were going to start. (Photo: The albergue of Portomarín, 8 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Nosotros cuatro llegamos al albergue, donde nos encontrabamos a amigos, Augustin y David y otros a los que nos encontrabamos en Rabanal del Camino. Cuando hablabamos, me dijeron que Harry había quedado detrás de nos porque estaba mal de salud. Aunque le me preocupaba, no le pudé encontrarme en Santiago de Compostela al final. Cuando los otros miembros llagaron y todos acabaron de duchar y lavar las ropas, dijo Sra. Nakajima que empezaría la clase. (Foto: El albergue de Portomarín, 8 sep 2008.)
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2010/01/15
アイスクリーム / Ice cream / Helado
【写真1:ポルトマリーンのアルベルゲ(2008年9月8日)】
ポルトマリーンのアルベルゲに行くと、中島先生がすでに手配していてくれたらしく、すんなりと16人分のベッドを確保することができた。しかし、アルベルゲのおばちゃんの曰く、使えるようにするまでまだ時間がかかる、とのこと。
仕方がないのでその間にシャワーを浴びさせてもらうことにした。
温かい湯を浴びながら、昨日のサモスで洗濯機がなく手洗いをせざるを得なかったために洗えなかった洗濯物のこと、今夜あるはずの2回目の講義のこと、そのあとで開催されるはずの祭りのこと、などをぼんやりと考えた。
シャワーを終えて、アルベルゲの入り口で涼んでいると、一緒に到着したメンバーもシャワーを終えて出てきた。ふらふらと2人で近くのスーパーへ行き、ポルトマリーンへ来る途中で先生へ電話してもらう代わりに、ということで約束していたアイスクリームを買って、近くの階段で座って食べていた。すると、2番目のグループが到着したところに出くわした。一緒にアルベルゲに戻りつつ、後方の様子を聞いたりした。
【写真2:祭りの準備(2008年9月8日)】
アルベルゲに戻るときには祭りの準備をしている様子が見えた。大きなステージがあり、本格的な演奏がされるらしい。
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As we got to the albergue of Portomarín, we could find enough beds for sixteen people. While the caretakers were preparing the beds, we took a shower and went to a supermarket to buy an ice cream which I had promised my companion to buy on the way to Portomarín in return for a call to Ms. Nakajima. When we're eating the ice cream sitting on a stone step, two other members arrived. Going back to the albergue, we saw people preparing for the festival. (Photo 1: The albergue of Portomarín, 8 Sep 2008; Photo 2: Preparing for the festival, 8 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Cuando llegamos al albergue de Portomarín, pudimos encontrarnos a las camas suficientes para dieciseis personas. Porteros estaban preparando las camas, duchabamos y entonces andabamos a un supermercado para comprar los helados que yo prometía comprar para mi compañera a cambio de una llamada a Sra. Nakajima. Comiendo helados, dos miembros llegaron a Portomarín. Volviendo juntos al albergue, nos encontrabamos a personas preparando la fiesta. (Foto 1: El albergue de Portomarín, 8 sep 2008; Foto 2: Preparando para la fiesta, 8 sep 2008.)
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2010/01/08
参考文献 (2) / Reference (2) / Referencia (2)
平井真希子「カリクストゥス写本の楽譜史料」,『西洋中世研究』1,2009年,106-122頁.
【写真:Codex Calixtinus, fol.214(一部)】
2009年4月に発足したばかりの西洋中世学会の学会誌『西洋中世研究』の第1号が届いた。雑誌の詳細・目次はリンク先に譲るとして、上記の文献がサンティアゴ巡礼と無関係ではないので、このエントリィで取り上げてみる。
そもそもサンティアゴ巡礼の起こりは、9世紀にヤコブの墓が現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラで「発見」されたところにあるが、本格的にフランスからの巡礼が盛んとなるのは11世紀以降のことである。巡礼が盛んとなった12世紀に作成されたのがこの論文の史料ともなっているカリクストゥス写本Codex Calixtinusである。
この写本はサンティアゴ巡礼の案内書としての役割が指摘され、以前取り上げたレーモン・ウルセルの『中世の巡礼者たち』でも第5章・第6章で論じられている。
この論文によれば、カリクストゥス写本は現在サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に保管されており、195のフォリオからなる。作成の年代については様々に議論があり、1130年代から1170年代と幅がある。作成場所については、サンティアゴ・デ・コンポステーラを主張するものもあるが、フランスのノルマンディ地方からロワール地方との説が有力であるらしい。
写本は全体で6部構成になっており、第1巻Liber Iから第4巻Liber IVと、『偽テュルパン年代記Historia Turpini』と補遺に分かれている。このうち第1巻から第3巻までが聖ヤコブに関する儀礼・奇跡物語など、『偽テュルパン年代記』はシャルルマーニュの物語、第4巻がサンティアゴ巡礼路の旅行案内、補遺が典礼音楽の楽譜を含んでいる。
……本題である楽譜に関する議論は、(問題が提起されただけで完全な結論が出ていないということもあり)十分に理解できたとは言えないが、単旋聖歌からポリフォニー(多声音楽)への発展において、カリクストゥス写本が持つ重要性は朧気ながら理解できたと思う。(むしろ、個人的には、ウルセルの著書を読んだまま忘れていた写本に関する情報や当時の巡礼をめぐる思惑など、興味深い問題点を再確認することができた点がよかった。)
===(resume)==================
Mariko HIRAI, "Notated Music in the Codex Calixtinus: Polyphonic Notator and a Green Line," Medieval European Studies(『西洋中世研究』=Seiyo Chusei Kenkyu), no.1, 2009, pp. 106-122.
This article is written only in Japanese but has an English summary. In this article, the author introduces a question about a green line on one of the scores from the Codex Calixtinus, in which most of the lines were written in red. This question might suggest an important link between monophony and polyphony but is still remaining unsolved. (This is my comprehension of the article and it might be incorrect because of my misunderstanding.)
(Photo: Codex Calixtinus fol.214)
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===(resumen)=================
Mariko HIRAI, "Notated Music in the Codex Calixtinus: Polyphonic Notator and a Green Line," Medieval European Studies(『西洋中世研究』=Seiyo Chusei Kenkyu), no.1, 2009, pp. 106-122.
Este artículo se escribe sólo en japones pero tiene un resumen inglés. En este artículo, la autora introduce una pregunta sobre una línea verde en una música del Codex Calixtinus, en que la mayor parte de las líneas eran escritos en rojo. Esta pregunta puede sugerir una conexión importante entre monophonía y poliphonía pero no está resuelto. (Este es mí comprensión de este artículo y puede ser incorrecto a causa de mí malentendido.)
(Foto: Codex Calixtinus fol.214)
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【写真:Codex Calixtinus, fol.214(一部)】
2009年4月に発足したばかりの西洋中世学会の学会誌『西洋中世研究』の第1号が届いた。雑誌の詳細・目次はリンク先に譲るとして、上記の文献がサンティアゴ巡礼と無関係ではないので、このエントリィで取り上げてみる。
そもそもサンティアゴ巡礼の起こりは、9世紀にヤコブの墓が現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラで「発見」されたところにあるが、本格的にフランスからの巡礼が盛んとなるのは11世紀以降のことである。巡礼が盛んとなった12世紀に作成されたのがこの論文の史料ともなっているカリクストゥス写本Codex Calixtinusである。
この写本はサンティアゴ巡礼の案内書としての役割が指摘され、以前取り上げたレーモン・ウルセルの『中世の巡礼者たち』でも第5章・第6章で論じられている。
この論文によれば、カリクストゥス写本は現在サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に保管されており、195のフォリオからなる。作成の年代については様々に議論があり、1130年代から1170年代と幅がある。作成場所については、サンティアゴ・デ・コンポステーラを主張するものもあるが、フランスのノルマンディ地方からロワール地方との説が有力であるらしい。
写本は全体で6部構成になっており、第1巻Liber Iから第4巻Liber IVと、『偽テュルパン年代記Historia Turpini』と補遺に分かれている。このうち第1巻から第3巻までが聖ヤコブに関する儀礼・奇跡物語など、『偽テュルパン年代記』はシャルルマーニュの物語、第4巻がサンティアゴ巡礼路の旅行案内、補遺が典礼音楽の楽譜を含んでいる。
……本題である楽譜に関する議論は、(問題が提起されただけで完全な結論が出ていないということもあり)十分に理解できたとは言えないが、単旋聖歌からポリフォニー(多声音楽)への発展において、カリクストゥス写本が持つ重要性は朧気ながら理解できたと思う。(むしろ、個人的には、ウルセルの著書を読んだまま忘れていた写本に関する情報や当時の巡礼をめぐる思惑など、興味深い問題点を再確認することができた点がよかった。)
===(resume)==================
Mariko HIRAI, "Notated Music in the Codex Calixtinus: Polyphonic Notator and a Green Line," Medieval European Studies(『西洋中世研究』=Seiyo Chusei Kenkyu), no.1, 2009, pp. 106-122.
This article is written only in Japanese but has an English summary. In this article, the author introduces a question about a green line on one of the scores from the Codex Calixtinus, in which most of the lines were written in red. This question might suggest an important link between monophony and polyphony but is still remaining unsolved. (This is my comprehension of the article and it might be incorrect because of my misunderstanding.)
(Photo: Codex Calixtinus fol.214)
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===(resumen)=================
Mariko HIRAI, "Notated Music in the Codex Calixtinus: Polyphonic Notator and a Green Line," Medieval European Studies(『西洋中世研究』=Seiyo Chusei Kenkyu), no.1, 2009, pp. 106-122.
Este artículo se escribe sólo en japones pero tiene un resumen inglés. En este artículo, la autora introduce una pregunta sobre una línea verde en una música del Codex Calixtinus, en que la mayor parte de las líneas eran escritos en rojo. Esta pregunta puede sugerir una conexión importante entre monophonía y poliphonía pero no está resuelto. (Este es mí comprensión de este artículo y puede ser incorrecto a causa de mí malentendido.)
(Foto: Codex Calixtinus fol.214)
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2010/01/01
ポルトマリーン到着 / Arriving at Portomarín / Llegando a Portomarín
【写真1:98kmのマイルストーン(2008年9月8日)】
小さな村をいくつか抜けると、急に視界が開けてきた。
この先はどうやら道が下っているらしい。
遠くの方に、まちが見えてきた。
と同時に、川も見えた。結構大きな川だ。
【写真2:ポルトマリーン遠景(2008年9月8日)】
かなり急な坂を降りていくと、橋が見えた。
橋の向こうにはポルトマリーンを思しきまちが見える。
橋には、「ミーニョ川Río Miño」と書かれていた。
【写真3:ミーニョ川に架かる橋(2008年9月8日)】
長い橋を渡ると、何か階段のようなものが見えた。
とりあえず近くにいた住人にアルベルゲの場所を尋ねると、右手の坂を登っていくとあると言うので、いわれたとおりに歩いていく。
公園を通り過ぎて、スーパーマーケットを見つけたが、シエスタの時間なのか開いていなかった。
とりあえず、それらしい方向に歩いていくと、ようやくアルベルゲが見つかった。
この日は33km程歩いたはずだ。
長い道のりではあり、確かに疲れはしたが、1週間歩き続けて足が慣れていたし、セブレイロ峠越えに比べれば大したことはなかったように思う。
===(resume)==================
Walking through some villages, we could see a long downhill slope and a big river. When we came to the river, we found a long bridge which says "Río Miño," and beyond the bridge we could see the town of Portomarín. Having crossed the bridge, we asked a townsman where a public albergue was and he showed the way. Following the direction, we could find the albergue. On this day we walked more than 33 kilometers, which seemed me less harder than the pass of O Cebreiro. (Photo 1: A milestone of 98km, 8 Sep 2008; Photo 2: Portomarín, 8 Sep 2008; Photo 3: The Bridge over the river Miño, 8 Sep 2008.)
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===(resumen)=================
Andando por algunas villas, nos encontrabamos a una cuesta larga y a un río grande. Cuando llegamos al río, había un puente que decía "Río Miño," y más allá del puente pudimos ver la villa de Portomarín. Después de cruzar el puente, preguntabamos a un ciudadano dónde estaba un albergue publico y él nos enseñaba. Siguiendo la dirección, pudimos encontrarnos al albergue. En este día, andabamos más que 33 kilometros pero me parecía menos arduo que O Cebreiro. (Foto 1: Un hito de 98km, 8 sep 2008; Foto 2: Portomarín, 8 sep 2008; Foto 3: El puente del río Miño, 8 sep 2008.)
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